最近、長年溜め込んでいた写真整理がほぼ終わり、出来上がったアルバムを見て毎日ほくそ笑んでおります。
細かいことを言えば、赤ちゃんの頃はコマ送り?と思うほど同じような写真が多く、多少年月が前後している部分もあったりしますが、こうやって一つの形になると、広い気持ちでそんなことは軽く許せるようになり、何より達成感と充足感に満ち足りております。
ほんとに、あと5年でも10年でも、どうしてもっと早く、やらなかったんだー!と思いますが、過去を悔やんでも仕方ない。今できた自分を褒め称えようと思います。
子どもが産まれる前の写真なども出てきたので一緒に貼ったのですが、そこにずっと前に亡くなったおばあちゃんも写っていました。
90歳過ぎても1人暮らしで、足は少し悪かったですが、頭はしっかりしていたおばあちゃんでした。
私が敬老の日のプレゼントなどを送ると、すぐ私の携帯に電話をかけてきてくれたりして、周りの人からは、そんな年のおばあちゃんなのにすごいねー、と言われていました。
その時は何も思わなかったんですが、今思うとその年ですごいなーと思います。
年金暮らしで小さなアパートに住んでいて、お金もそんなになかっただろうに、遊びに行くと必ずお小遣いをくれる、優しいおばあちゃんでした。
何もなくても、毎日お化粧して、自炊もして、1人で暮らして。。最後は肺炎で入院して弱っちゃって亡くなりましたが、最後までしっかりしたおばあちゃんでした。97歳だったと思います。
自分がだんだん年をとってくると、親やおばあちゃんがこれぐらいの年の時はどんな気持ちで暮らしていたんだろう、とか。もっと年をとってきた時とかは?とか考えます。
私なんて、子ども達が巣立ったら何をすればいいんだろう、とか淋しくて耐えられなくなるんじゃないか、とか、考えたりしてましたが、よく考えたら、親もおばあちゃんもそのまたおばあちゃんも通ってきた道なんだよなーと思ったら、ちょっと不安ではなくなりました。
と、同時に今まであまり思わなかった感謝の気持ちが湧いてきました。。と言っても、面と向かって喋るとケンカしてしまったりはするんですが。。。
そしてこうやって写真を見てたまに思い出したりしたら、おばあちゃんも喜んでくれてるかな、と思ったりする今日この頃です。。
親とかおばあちゃんおじいちゃんとか、元気で好きなことして生きてくれてるだけで、子どもや孫は嬉しかったり心の安定に繋がったりしますよね。
もちろん、子どもや孫がいなくても、元気で健やかに過ごしているだけで、その方の友だちや周りの人は嬉しかったりします。
100歩譲ってそういう人がいなくても(でも誰かはきっといると思います)、自分を喜ばせることはできます。
決して長くはない人生、悔いなきよう、自分を最大限に喜ばせてあげて生きていきたいです。
誰の言葉だったか忘れましたが、「誰の人生もみな美しい」というようなものがありました。
最近、ほんとにみんなにそれぞれの人生があって、それぞれが一生懸命に生きた人生は美しいんだな、と思います。
散歩しているおばあちゃん、工事現場の交通整理をしていて路肩で休んでいるおじいちゃん、みんなそうなんだな、と思うと、なんだか泣けてきたりします。きっと美しいというのが、ちょっとだけわかってきたからかな。