少しづつ回復してきました

日々あれこれ

 先日言うべきことを言わずに取り返しのつかない結果になり、とても後悔したことがあったと言いましたが、その後全てを自分で失ったような気になり、何もやる気が起きず息をするのも辛かった日々が続きました。

もちろん自分の行動の結果なので、自分のせいなので仕方ないんですが。。。
 
それから2ヶ月くらい経ち、ようやく気持ちもだんだんと回復してきました。今でも思い出すと辛くなりますが。。

 人生、本当にちょっとした決断ですぐ結果が変わるな、ということを実感しました。具体的な内容を書いてないので、読んでる方はなんのこっちゃって感じかも知れませんが。

 家族の中で引きずっているのは私だけだし、みんな前に向かって歩き出しているのでこの結果を全力で正解にしていくだけです。

 でもよく考えたら、雨風しのげる家があり、食事もでき、家族みんな元気で過ごせているということは、控えめに言って最高ですよね。

 何もやる気が起きなかった時は、1人になって何もすることない状態になったらこんな感じなのかなーと絶望感に襲われていました。

年齢を重ねて1人になってしまったらこんな感じになるのか、と。
(実際は1人でも楽しく元気に過ごされている高齢の方はたくさんいらっしゃると思います。私もそうなれるように日々重ねていきたいです)
 
昔から好きな座右の銘は「人間万事塞翁が馬」だったことを思い出しました。

人は一度落ち込むと、その不幸が永遠に続きいつまで経っても良くはならないと思ってしまうものですが、そんなことはないんですよね。

知っている方もいらっしゃると思いますが、この諺の元となったお話を書いておきますね。

中国の北の方に占い上手な老人が住んでいました。
さらに北には胡(こ)という異民族が住んでおり、国境には城塞がありました。

ある時、その老人の馬が北の胡の国の方角に逃げていってしまいました。

この辺の北の地方の馬は良い馬が多く、高く売れるので近所の人々は気の毒がって老人をなぐさめに行きました。

ところが老人は残念がっている様子もなく言いました。
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

そしてしばらく経ったある日、
逃げ出した馬が胡の良い馬をたくさんつれて帰ってきました。

そこで近所の人たちがお祝いを言いに行くと、老人は首を振って言いました。
「このことが災いにならないとも限らないよ。」

しばらくすると、老人の息子がその馬から落ちて足の骨を折ってしまいました。

近所の人たちがかわいそうに思ってなぐさめに行くと、老人は平然と言いました。
「このことが幸福にならないとも限らないよ。」

1年が経ったころ胡の異民族たちが城塞に襲撃してきました。

城塞近くの若者はすべて戦いに行きました。

そして、何とか胡人から守ることができましたが、その多くはその戦争で死んでしまいました。

しかし、老人の息子は足を負傷していたので、戦いに行かずに済み、無事でした。

長い人生では楽しい事や嬉しい事もあれば、辛い事や悲しい事もあるけれども、何が幸福で何が不幸かは直ぐに決まるものではないということ。

嬉しい時には浮かれ過ぎず、悲しい時には将来必ず幸せが訪れるものと信じて、毎日を明るく元気に過ごしていきたいです。

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